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書 作家略歴


 氏    名 略       歴 
伊藤博文(いとう ひろぶみ) 1841(天保12)1909(明治42)
光市束荷に生まれ、号は春畝、春生、滄浪閣主人など。吉田松陰に学び、尊攘運動の志士として活躍し、維新後は新政府に参画し、憲法制定、内閣制度を確立。枢密院議長、初代内閣総理大臣など政界の最高指導者の座にあり、明治の元勲といわれた。
岸 信介(きし のぶすけ) 1896(明治29)1987 (昭和62)現在の山口市で生まれるが、本籍地は田布施町。東京帝国大学卒業後、農商務省、商工省にて要職を歴任。東條英機内閣では商工大臣で入閣。戦後は、初代自民党幹事長、外務大臣、内閣総理大臣などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。箕山と号した
北村西望(きたむら せいぼう) 1884(明治17)1987 (昭和62)
長崎県出身の彫刻家。日本を代表する美術家のひとり。文化勲章受章。代表作に「長崎平和祈念像」がある
広実泉城(ひろざね せんじょう) 1923(大正12)
岡本松堂、宮本竹逕に師事する。日展入選を重ね会友となる。読売書法展、日本書芸院展で役員、審査員を歴任。墨彩会名誉会長。光市の書道界の草分けのひとりである。
杉 孫七郎(すぎ まごしちろう) 1835(天保6)1920(大正9)
現在の山口市御堀に萩藩士の次男として生まれる。明倫館に学び、文久2年幕府の欧州視察に随行する。四境、戊辰戦争には参謀として参加し、明治以後は政府の中枢として活躍する。能書家として知られている。聴雨と号す。
大楽源太郎(だいらく げんたろう) 1832(天保3)1871(明治4)
萩出身の志士。海防僧月性、広瀬淡窓らに学び、後に江戸へ出て水戸学を学び、防府の私塾で講義する。藩内でもはやくからの尊攘運動家で、大村益次郎暗殺事件、山口脱退騒動の首謀者との嫌疑がかかり、久留米へ脱走し再起をはかるが、筑後川河畔で暗殺された。
児玉源太郎(こだま げんたろう) 1852(嘉永5)1906(明治39)
徳山藩士の長男として生まれ、戊辰戦争に参加。後に陸軍に入り日清戦争では大本営留守参謀長、日露戦争では満州軍総参謀長をつとめた。号は藤園という。
吉田松陰(よしだ しょういん) 1830(文政13)1856(安政6)
幕末の長州藩士、思想家、教育者。幕末の勤王家・思想家・教育者。長州生。長州藩士杉百合之助の次男。山鹿流兵学師範吉田家を継ぐ。名は矩方、通称は寅次郎、別号に二十一回猛士。江戸に出て、安積艮斎、山鹿素水、佐久間象山らに学ぶ。安政元年下田の米艦に搭乗を計り失敗、投獄ののち生家に幽閉されるが、ここで松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋ら多くの門人を育てた。討幕論を唱え、老中間部詮勝暗殺を画策して投獄され、安政の大獄により獄中で刑死した。安政6(1859)歿、30才。明治22年贈正四位

西野文太郎(にしの ぶんたろう)

1865(慶応1)1889(明治22)
萩の神官の家に生まれる。国粋主義者で、明治22年帝国憲法発布式の朝、初代文部大臣の森有礼を刺殺する。文太郎も警官によってその場で斬殺された。光井出身の玉井喜作は、山口の黒城塾で共に学び、爾来交友があった。「斬奸状」とは、わるものを斬るについてその趣意をしたためた文書のこと。

 

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